2018年3月27日火曜日

安部氏について

 狭野尊(さののみこと、後の神武天皇)の軍団と戦って殺された長脛彦(ナガスネヒコ・那賀須泥毘古)には、兄安日彦(アビヒコ)がいた。
 アビヒコは津軽に逃れてアラハバキ王国の王となった。
 そのアビヒコの子孫が安部氏である(安部氏の守護神は磐神社に祭られているとされる)。
 鳥海柵(とのみのさく)を本拠とした安倍宗任(あべ の むねとう)はその一族である。安倍一族は、前九年の役で源頼義の郡に敗北。安倍宗任は、四国の伊予国に流され、現在の今治市の富田地区に3年間居住し、治暦3年(1067年)に九州の筑前国宗像郡の筑前大島に再配流されてその地で死亡した。

 その三男・安倍季任は、季任は肥前国の松浦に行き、松浦氏の娘婿となり松浦三郎大夫実任と名乗る。その子孫は北部九州の水軍松浦党を構成する一族になった。松浦実任(安倍季任)の子孫の松浦高俊は、平清盛の側近で平家方の水軍として活躍し、その為、治承・寿永の乱により、現在の山口県長門市油谷に流罪となった。その後、高俊の娘が平知盛の子平知貞に嫁ぎ、源氏の迫害から逃れる為に安倍姓を名乗った。

 安部晋三首相の本籍地は山口県大津郡油谷町である。油谷町の安倍家は、江戸時代、大庄屋をつとめ、酒や醤油の醸造業を営み、大津郡きっての名家として知られていた(安部晋太郎)。
 安部氏一族は磐神社に祭られているアラハバキ神を守護神としており、安部晋三首相も磐神社に戦勝祈願をしているとされる(アエラ)。奥州藤原氏も安部氏の子孫である。

 安部晋三首相の祖父は岸信介である。岸信介の祖先は、山口県熊毛郡田布施町に生まれた長州藩士佐藤信寛(のぶひろ)。佐藤氏は大職冠鎌足公の苗裔、藤原秀郷の支流佐藤忠信に出づとされる(系図)。佐藤忠信は、奥州藤原氏の家臣であり、その名により源義経と行動を共にした。


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