2018年3月25日日曜日

多治比氏に関する情報まとめ

 多治比氏は、宣化天皇(せんかてんのう)の三世の孫、多治比彦王(たじひひこおう)を祖とする氏族である。虎杖(いたどり)を家紋とする。


 宣化天皇の父は継体天皇、母は、尾張目子媛(おわりのめのこひめ)である。

 尾張目子媛は尾張氏の首長尾張草香(おわり の くさか)の娘である。尾張氏は、天火明命(あめのほあかりのみこと)=饒速日を祖とする氏族であり、その後裔は代々熱田神宮大宮司をしている。

 多治比氏の氏神は、火明尊である。
 多治比氏は、菅原道真と関係している。北野天満宮ができたのは多治比文子(たじひの-あやこ)が神託を受けたことによるものである。多治比文子は菅原道真の実の母親と推察している。多比神社が菅原道真を合祀しているのはそのためだろう(美濃齊藤氏の氏神は菅原道真参照)。

 原島氏は多治比氏の系統に属する。


 多治比氏の本拠地は、河内国多比郡。今でも多治比氏に関連する遺跡等が残る。
   〇 黒姫山古墳地図) 多治比氏の古墳
     みはら歴史博物館地図)に出土品等が陳列されている。
   〇 丹比(たんぴ)神社地図) 多治比氏の氏神を祭る
   〇 柴籬神社(しばがきじんじゃ)地図) 丹比柴籬宮跡
     反正天皇・多遅比瑞歯別尊(たじひのみずはわけのみこと)の宮跡
   〇 陶荒田神社(すえあらたじんじゃ)(地図
     大田田根子がいた茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら)
     須恵器発祥の地
     崇神天皇の七年・大田田根子創建とされる
   〇 和泉黄金塚古墳(いずみこがねづかこふん)地図
     景初三年(239年)の銘がある銅鏡が発掘されている。
   〇 池上・曽根遺跡 (地図
     弥生時代の大規模環濠集落
     近くに饒速日尊を祭る曾禰神社がある。
   〇 跡部神社(あとべじんじゃ)(地図
     物部守屋の居館の跡地。八尾市一帯は物部守屋の勢力地。
     物部氏は饒速日尊の子孫である。
     (関連サイト
   〇 ヤマトタケル以降の応神天皇系列の天皇陵がこの周辺に集中している
     ①日本武尊(やまとたけるのみこと)
      軽里大塚古墳(かるさとおおつかこふん)地図
     ②仲哀天皇(ちゅうあいてんのう・足仲彦(たらしなかつひこ))
      岡ミサンザイ古墳地図
     ③応神天皇(誉田別尊(ほむたわけのみこと))
      誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)地図
     ④仁徳天皇(大雀命(おほさざきのみこと))
      百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)地図
     ⑤履中天皇(りちゅうてんのう(大兄去来穂別(おおえのいざほわけ))
      百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)地図
     ⑥反正天皇(はんぜいてんのう多遅比瑞歯別(たじひのみずはわけ)
      百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)地図
     ⑨允恭天皇(いんぎょうてんのう)
      惠我長野北陵(恵我長野北陵、えがのながののきたのみささぎ)
     ⑩雄略天皇(ゆうりゃくてんのう・泊瀬幼武(おおはつせわかたけ))
      丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)
     ⑪清寧天皇(せいねいてんのう・白髪皇子(しらかのみこ))
      河内坂門原陵(こうちのさかどのはらのみささぎ)
     ⑫仁賢天皇(にんけんてんのう・億計天皇(おけのすめらみこと))
      埴生坂本陵(はにゅうのさかもとのみささぎ)

〇その他多治比氏に関するサイト





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