2018年4月29日日曜日

越智氏について

越智氏(おちうじ)

応神天皇より伊予国小市の国造に任ぜられた乎致命(おちのみこと)を祖とする氏族。


 

 饒速日命(ニギハヤヒノミコト)を祖とする。宇摩志麻遅ウマジマジ)系なので物部氏である。

 乎致命は大濱八幡神社に祭られている。大濱八幡神社付近は越智氏発祥の地とされており、越智氏発祥の地の巨大な碑石がある。同神社では、相殿として、饒速日とともに天道日女命(あまのみちひめのみこと・大国主の娘)が祭られている。饒速日と天道日女命の子が天香語山命(あまのかごやまのみこと)、その子が天村雲命であり、海部氏の祖先である(籠神社の説明)。乎致命とは別系列になるので、天道日女命が祀られているのは不可解(本来なら三炊屋媛(みかしきやひめ)でなければならないはず)。


 大三島にある大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)は、乎致命が建立した大山祇神を祀る神社で、境内に手植えの楠がある。


 越智氏の系図はここ。大山祇神社の神主は、代々越智氏の子孫が継承している(大祝(おおほおり、三島)氏)

 古事記によると、饒速日は、大山祇の娘神大市比売(かむおおいちひめ)とスサノウとの間の子とされているので、大山祇神社では大山祇を祭っているものと思われる。しかし、饒速日は、瓊瓊杵尊の兄である天火明命(アメノホアカリ)のことであり、萬幡豊秋津師比売命(よろづはたとよあきつしひめのみこと)との天忍穂耳命の子であるので、どこかで混同されているようである。

 宇摩志麻遅が生まれた場所は、伊予である愛媛県東温市の浮嶋神社付近である。宇摩志麻遅は、饒速日命長髄彦の妹である三炊屋媛(みかしきやひめ)を娶って生んだ子である。
 宇摩志麻遅が死亡したのは、島根県太田市の物部神社付近。

 物部氏の奈良での拠点は天理市の石上(いそのがみ)神宮付近である。
 石上神宮のある布留町一帯には布留遺跡がある。

 越智氏の子孫には、河野氏矢野氏、伊予橘氏三島氏新居氏伊予今井氏土居氏(桓武平氏の土肥氏とは別)がある

 かの伊藤博文は、越智氏の子孫であり、大濱八幡神社には伊藤博文の石像が建設されている(【越智宿禰姓 拝志(林)氏(伊藤氏)系図】)。

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