アビヒコは津軽に逃れてアラハバキ王国の王となった。
鳥海柵(とのみのさく)を本拠とした安倍宗任(あべ の むねとう)はその一族である。安倍一族は、前九年の役で源頼義の郡に敗北。安倍宗任は、四国の伊予国に流され、現在の今治市の富田地区に3年間居住し、治暦3年(1067年)に九州の筑前国宗像郡の筑前大島に再配流されてその地で死亡した。
その三男・安倍季任は、季任は肥前国の松浦に行き、松浦氏の娘婿となり松浦三郎大夫実任と名乗る。その子孫は北部九州の水軍松浦党を構成する一族になった。松浦実任(安倍季任)の子孫の松浦高俊は、平清盛の側近で平家方の水軍として活躍し、その為、治承・寿永の乱により、現在の山口県長門市油谷に流罪となった。その後、高俊の娘が平知盛の子平知貞に嫁ぎ、源氏の迫害から逃れる為に安倍姓を名乗った。