2018年6月10日日曜日

清和源氏系譜 明智氏は、清和源氏嫡流 源頼光の子孫だ。

武家として知られる清和源氏の起源は、清和天皇の第六皇子貞純親王の子である経基王が臣籍降下により源姓を賜り源経基(みなもとのつねもと)と名乗ったことに遡る。
 
 清和天皇(56代)
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 貞純親王
   
 経基王=源 経基
(938年、武蔵介として現地に赴任。平将門の乱の原因を作る。藤原純友の乱にも参戦。武蔵・信濃・筑前・但馬・伊予の国司を歴任し、最終的には鎮守府将軍にまで上り詰めた。京都の六孫王神社に祭られている。)
   
 源 満仲(みなもとのみつなか)・・多田源氏 
 藤原摂関家に仕えて、摂津国・越後国・越前国・伊予国・陸奥国などの受領を歴任、左馬権頭・治部大輔を経て鎮守府将軍に至る。二度国司を務めた摂津に土着。多田荘に入部、所領として開拓すると共に、多くの郎党を養い武士団を形成した。兵庫県川西市の多田神社に居館があった。
 ↳①長男・源 頼光(みなもと の よりみつ)(らいこう)・・摂津源氏
  • 父満仲より多田の地を相続、藤原道長に仕え、但馬国、伊予国、摂津国(970年)の受領を歴任する。
  • 丹波大江山での酒呑童子討伐で名をはせる。
  • (1001年)には美濃守を兼任。同時期に尾張守となった大江匡衡と親交をもった。
  • 子の頼国の子孫が美濃土岐郡に土着。土岐氏を称した(美濃源氏)。
  • 岐阜市瑞浪市土岐町の八幡神社一帯がその本拠地である。
  • 明智氏は、土岐氏の支流である。明智氏の本拠地は、岐阜県恵那市明智町の日本大正村一帯である。
 ↳②二男・源 頼親(みなもと の よりちか)・・大和源氏
   土佐に流されている。
  • 兄・頼光と同じく関白の藤原道兼に、その死後は道長に仕え、諸国の受領や鎮守府将軍などを歴任する。
  • 河内に土着して石川郡に壺井荘を拓き、香炉峰の館(羽曳野市の壷井八幡宮付近)を建てる。平忠常の乱を平定し、板東平氏の多くを配下加え、清和源氏が東国で勢力を広げる契機を作った。
  • この頼信の系統が足利源氏、新田源氏、木曽義仲、源頼朝につながる。